[傾聴]質問の形で求めている共感

〜本記事は4月27日にアメブロで公開した"その質問は答えではなく共感を求めています"という記事に加筆したものです〜




函館のずれることなく気持ちを聴く専門サロン【聴き手サロンあいりす】のブログに
ご訪問頂きありがとうございます。



4月に入ってまもなく
子どもにかかわる機関でのあるお手伝いを
要請されたのですが

その時の経験から
「この質問もずれて届くことが多いよね」
と思い出したことがあったので
書いてみようと思います。



日常会話というのは
ずれて進行していることが多々あります。
心のバッテリー残量が充分なら
全く問題ないですし

かえって会話の妙味を引き出したり
ときには人を成長させる力をもちます。
だからそこまで気にする必要はありません。



以下の内容は
心身ともに健やかな人に対しては
より信頼関係を深めることができて

バッテリー残量が減っている人に対しては
ずれの影響を最小限にできる
会話のヒントになる
そんな風にとらえて頂けたらと思います。




お手伝い先は子どもとかかわる場所でした。

ある男の子が何度も
大人の所にやってきては説明を受け
しばらくしてから
また同じ質問をしに来て
同じ説明を受け
また後でやってくるというくり返し
の場面がありました。

男の子のセリフは
「なんでゲームできないの?」

(この子は制限でゲームを禁じられてる訳ではなく、この日たまたまゲーム機の調子が悪く、直せる人がこのあとやって来るという状況でした)

なので、大人はこの質問に2回目まで
「ゲーム機の調子が悪くて
〇〇さんがいないからゲームはできません」
と説明していたんですね。

このやりとりが2回繰り返されて

3回目に男の子が来た時その方は

「そっか、ゲームやりたいのに、できなくてがっかりしちゃうよね。」

と共感の声がけをしたんです。


ここで、男の子の表情が変わりました。
1回目2回目には見せなかった顔です。


分かって…くれるの…?
そんな気持ちが伝わってきました。


それからその方は
「〇〇さんが来たら直してもらおうね。それまで待っててね」と語りかけました。

すると男の子は満足げに
「うん!」と言って立ち去り
その後はお友達と
別の遊びを楽しんでいました。

〇〇さんはその日事情で来れなくなって
その日ゲーム機は直らずに
過ぎていきましたが

男の子は大人の所にやってくることは
もうありませんでした。





奇妙なことですが
これは質問の形を取りながら
説明だったり答えだったり
を求めていない質問なのです。

質問する=何か答えを求めている
と私たちは考えがちですけれど

この男の子が求めていたのは
"答え"じゃなくて"共感"

共感してもらったから、気持ちが満足して
別の方向へと意識を向けることができるようになった訳ですね。








ある書籍にこんな事例がありました。

子どもが窓の外を見ながら
こんな風につぶやく

「明日は雨かなあ」


(さあ、あなただったらどんな言葉を返すでしょう?スクロール前にちょっとだけ考えてみてくださいね)














その本では
応答する大人の選択肢として

「うん、天気予報では雨みたいだよ」

「明日が雨か気になっているんだね」

が例として示されていました。


(とても多くの方が上の様な応答と予想したんですが…どうでしょう?あなたが下の様に応答していたとしたら、それはもう"訊く"才能に他なりません)



さて本に戻りますと、

上は質問に答えています。

(日常会話ではだいたいこのパターンです)


下は…もうおわかりですよね、共感です。

(反対に、この様に会話が展開することは日常会話ですと、ほぼありません。これこそが"訊く"という専門性なのです)



この子どもは明日楽しみな遠足を
控えているのかもしれません。

逆に

この子どもは運動が得意ではなく
明日が運動会という
シチュエーションかもしれません。




いずれにしても
「明日が雨か、気になっているんだね」
と共感で返すことができれば

この子が一番分かってほしい
(=共感して欲しい)気持ちの

「明日は遠足だから晴れたら嬉しいな」
だったり

「運動会なんて雨になったらいいのに…」
だったりが

その次の言葉のやり取りで出てきます。

もし言葉で分からなくても快か不快か
その表情から何となく推測できるでしょう。



あとは下のように
共感的に応答すればOKです。

「晴れて遠足行けたらいいね」(A)

「そっか、運動会やなんだね」(B)



Aは言いやすそうですね(^^)

だけど…
Bの方は大人ゴコロとすれば
ちょっと受け入れにくいかもしれない…



そんな風に考える子どもに
なってはいけないと
運動会のいい面を挙げて
その子の気持ちを前向きに変えさせよう
とすることも少なくないでしょう。

けれどこのネガティブ感情を
大人が指導する必要はありません。

意外に思われるかもしれませんが
共感が自己指導につながっていくからです。




この子が気持ちを身体の外に出せた
という点が実は何より重要なポイントで

こういった、身体の外に出すという作業を
専門的には外在化(がいざいか)
といいます。

不安もそうですが
身体の外に出たものは
コントロール可能になるんですね。

一方で

身体の中にある漠然とした嫌な気分は
サイズ感が実際よりも肥大して
自分では扱いきれないと感じてしまいます。

そこに共感によって水路が掘られ
人に言いにくいネガティブな気持ちを
言葉として身体の外に出すことができると
漠然とした「やだ」が外在化されます。

外在化によって身体の外に出て初めて
感情は「観察」できるようになるのです。

たとえば…

その感情の色…暖色系?寒色系?黒っぽい?

カタチ…丸みがあるの?トゲトゲしてる?

重感や質感…重い感じ?ねっとり?さらさら?

温感…あったかい?冷たい感じ?



無意識レベルで
これらのデータ処理が行われていき

処理が進行するにつれて
この感情の正体みたり!
と自分の手にコントロールが戻る
感覚が生まれてきます。




サイズ感が縮むとは
いわゆる比喩なんですが

様々な観察によって
自分がこの出来事を統制できるという感覚
(=自己効力感)が向上するために
コントロールが可能になっていくのです。




この段階でその子と一緒に
良い側面を探してみようとするのは
とても教育的な働きかけになります。

そしてまた
「そっか、運動会がやなんだね」
と共感して終わってもいい。

思春期だったらこちらの方が
大人も試しやすいかもしれません。

たいていは
「だって〜なんだもん」みたいに
嫌だと感じていることが続けて語られるので

出てきた語りや気持ちに
ただ共感を重ねていく感じの流れ
になると思います。




共感してもらった安心感と観察によって
その子の心にスペースが生まれるので
向きあうための準備状態がつくられて

そこに何かのきっかけが生じると
嫌な運動会に対しても自分から
別の側面を見ることができるようになる
という事はとても多くあります。

こういった、自分で自分を指導することは
自己指導と呼ばれ
教育における最高次の目標とされています。

この大変難しそうな自己指導を導くものが
実は共感なのではないかと
私は考えているところです。




自己指導って…話がいきなり飛躍しすぎました^^;




では、まとめです。




質問の形で共感を求める
奇妙な質問がある
ということに、あなたは気づきました。

概念化されたものは活用できるように
なります。

ですから、この質問を見抜ける時が必ずやってきます。

今回は子どもの事例になってますが
これは大人でも全くおなじです。


そうして奇妙な質問を見抜いたら
ぜひ共感的に応答してみてくださいね。

その相手との信頼関係がさらに
深まっていきますよ。




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