もしも気づきの瞬間が見えるとしたら


【聴き手サロンあいりす】のブログに
ご訪問いただきありがとうございます。




私たちは色んなシチュエーションにおいて
「気づきがあった」
などと言いますけれど

そもそも「気づき」とは
何なのでしょうか?






それが生起するとき
心の中で明確なある現象が進行しており
私たちはその現象を
感覚として知っている

わざわざ言語化しなくても
一人一人が感じられているので
それで何の問題もありません。

だからこのお話は

「へえ、そんなことが起こってたんだ」
くらいに読んでいただければと思います。










気づきとは、一番シンプルにいうと
概念化されること。




平たく言えば、
それまで知らなかったことを知るようになる
とも言えるでしょう。



当たり前すぎる事を書いてる
という感じですね(笑)





日常に馴染んだ形から説明しようとすれば
これで終わってしまい
「あいりすさん、何が言いたかったの?」
という謎記事になってしまうので(笑)

ゲシュタルト心理学という切り口で
気づきの瞬間
というものに迫ってみようと思います。









アウェアネス=気づき
とはゲシュタルト心理学によると

(テレビの砂嵐のような)ノイズから
意味のある何かが浮き上がること
だと説明されます。






なんだかとっても
分かりにくいですね… (^-^;


ゲシュタルトやノイズという
頭がフリーズしそうな言葉は
スキップして…
 





まずは
『図と地』のお話からいきましょう。

赤い下地に❤️が描かれていると
赤の上に赤のものがある状態なので
見えませんが

下地の色を黄色に変えれば
そこに❤️が描かれていることが
分かります。



この時の
黄色い下地または背景のことを「地」

地が黄色に変わったことで浮かび上がった
赤いハートを「図」と呼びます。



簡単にまとめると

 図→意味ある形の部分
 地→背景となる部分

ということですね。
 







図と地が分かりました。

ではこの絵、ルビンの壺というものですが

(ネットからお借りしました)

壺が見えますか?









ほかに何か見えますか







黒い部分を図にすれば壺
白い部分を図にすると向き合う顔

これは同じ絵でも
図と地が入れ替わり違うものが見える
『図地反転』と呼ばれる現象です。



タイトルにひっぱられ
多くの方が壺を見たことでしょう。

ところが「他には」と促され
見方を変えようとする試みから

単なる地であった白い部分が
図として浮き上がり
壺だった部分は背景に、つまり地になった。

壺しか見えない状態から
向き合う顔が見えるようになった瞬間に
アウェアネス=気づき
が生起したというわけです。










さてこちらの絵に描かれた女性…
(ネットからお借りしました)

どんな女性でしょうか?




見方を変えると別の女性が見えます…
おいくつくらいの方でしょうね?






羽付き帽子を被った若い女性または
お年を召した女性の横顔

この場合も
違う絵に見えた瞬間に起きたのが
アウェアネス=気づき

いったん気づきを得ると
図の部分を意識的に切り替えて
2つのパターンを見ることができる
ようになるけれど
気づきの生起する前には
こうしたことは、一切できないのです。

気づきの後でも2つのパターンを
"同時に"見ることは不可能

知覚って本当に不思議だなあと
思います。












では次に

ノイズから意味のある何かが浮上する瞬間

に御招待しましょう。


(ネットからお借りしました)

一見「なにこれ?」

と思う絵ではありますが


実は動物がいます

右半分に注目

動物は地面に鼻をつけています…



見えるかな〜


この辺りを目の焦点を絞らずにぼーっと



ノイズから浮き上がって見えるかな?










私がしばらく
「亀しかいないじゃん!」と苦戦した
こちらはどうでしょう?
(ネットからお借りしました)

左半分に注目です

私は左側下の
上を向いた亀っぽい所に
しばらく悩まされましたが(笑)

草を食べる動物がいますね




目があって…



鼻があって


耳は目の横ら辺にありますよ〜

さあ、ノイズから浮き上がって見えるかな?










いかがでしょう





1枚目は地面に鼻をつけるダルメシアン

2枚目は左半分に大きな牛の顔




ヒントで見えるようになった方は

最初は「なんだこれ?」と
意味不明なノイズに過ぎなかったものが

ヒントから一定範囲の知識と照合され
意味をもつ図として認識される
というプロセスが
心の中で起きていたのです。




私たちが何かに気づく時
それまでノイズだったものが
意味あるものとして浮上すると

未知であったものが既知となり
言葉によって名づけられることで
概念が形成されます。








話が少し逸れますが

フォーカシングという
身体のモヤっとする感覚
名前をつける作業を通じて
自分の心と向き合う
アプローチがあります。


この感覚
まだ言語化に至らない身体感覚で
フェルトセンスと呼ばれ

たとえば…
お腹の辺りがもにょっとするとか
胃の中に冷たい石がたくさんある

みたいに表現されます。





この感覚と丁寧に対話を重ねていき
フェルトセンス
この上ないほど、ピッタリな名前がつく…

例えば胃の中の冷たい沢山の石に
「いつも飲み込んできた悲しい気持ち」
と名前が与えられた

その瞬間こそ、

混沌とした感覚というノイズから
悲しみという概念が 図 として
浮かび上がった、つまり

「気づき」

が起こった瞬間なのです。



フェルトセンスというノイズのままだと
漠然として、サイズ感も大きく
手に負えないと思ってしまうけれど

悲しみとか寂しさ等のような
名前が与えられる(=概念化される)
ことによって
言葉による外在化も可能となり
サイズ感も縮まるし
対処方法の糸口も見えてくるのです。






このように
私たちが心の作業に利用できるのは
概念化されたもの、気づいているものだけ

それゆえ心の世界では
「気づいたらもう、問題は半分解決ですよ」
と言われるのかもしれませんね。





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